シュクメルリ
金曜日は自宅仕事の日なので、基本的に金土日と融通が効く。
ということで、木曜日に職場の同世代飲み会(実のところ自分はかなり年齢は離れているのだが)に混ぜていただき、翌金曜日は院まで指導いただいた先生を家にお招きしてすき焼きパーティーをした。隠岐から隠岐牛を取り寄せたのだが、脂がしっかり乗っていてすごくおいしかった。酒もまあまあ良いものを用意できたのでなにより。先生の酒量が減ったのが気にはなるが、お年ということなんだろう。
土曜日は立川のビルケンシュトックで注文していたブーツを引き取り、それを履いて実家へ。グランベリーパークに遊びにいった。前身のグランベリーモールと違い、狙いがわかりやすくなり店数もかなり増えていた。動線が悪いのは少々困り物だが、駅の商業ビルと同じく、あえてやることでお店に人を誘導しているのだろう。オープンも間もないためかなり混雑していたが、いつ頃まで続くだろうか。ひとまず駅前にあったカルディでワインを買って帰宅し、父とネットフリックスをダラダラ見る。
日曜、昼に松屋のシュクメルリを冷やかしにいった。なるほどニンニクが効いていて濃い。美味しいとは思うが、紅生姜をはさまないと食べ続けられなかった。その後は立教にカタリ派文献の読書会へ。儀式書を二時間ほど読み、その後解散。
鴨肉
29日、友人とエリウゲナの読書会ののち鴨肉を食べる。
空腹のせいか途中で腹を痛めてしまい、満足に食べられなかった。悲しい。
30日。企画調整を行なっていたシンポジウムの本番。
とはいえ自分は完全に裏方なので、ある意味気軽なものである。
会は思ったよりも盛況で、60人くらいは集まっただろうか。ポスターを200枚すっただけのことはある。聴衆に気圧されてしまい、司会進行は辿々しくなってしまった。
内容としては中世の光や形象に関するものだったのだが、いろいろな発表を拝聴しつつ、結局「受肉」は認識を与えるが、そこからコムニオ、つまり共有可能性を与えるためのさらなる受肉が必要なのだろうな、といううろ覚えなトマスの聖体論みたいなことを考えたりしていた。完全にスタッフの頭になり、質疑の際に聞けなかったのが残念だ。
その後打ち上げ兼懇親会。久々の方もいて楽しい時間だった。デカローグ。
パン
近況メモ
11月22日、結婚記念日のディナー。
神楽坂のラトラスというところに行く。雨が降っていたが、相合傘をしていい気分だった。
11月23日に教皇が来日した。翌日の長崎での26聖人記念碑訪問とミサは正座して中継を見てしまった。
訪日決定のニュースを聞いたときはいろいろと情報がわちゃわちゃして面倒だろうな、と思っていてあまりプラスな気分ではなかったのだが、それはつまり心底気になっていたということだ。
その後、母が地元に来たので、ラーメンを食べたり猫を撫でたりしていた。
24日、たしかポケモンをして過ごす。
25日、教皇訪日イベント。「青年との集い」と東京ドームでのミサ。
職務として行く心算だったが、受付の都合でバラバラになる。他の教職員も合流する雰囲気はなく、ようやく会えた学生たちも特に同行を求めていなさそうな様子だったので、「道中気をつけてね」と伝えてから一人でミサに。ドームの前で友人たちと合流し、一緒にミサに与った。個人の経験としてはそちらの方がいい。
「青年との集い」は若干難しいなという印象。「私たちはプライスレス」「お金で買えない価値がある」という文言が神の愛について語るスライドで流れたが、そういうミーム化した宣伝文句を、労働問題やメンタルヘルス、外国人技能実習生の問題を扱った後で出されると正直困惑する。ウケを狙ったにしてはそういう場面ではないし、完全に滑っている。
とはいえそれは前座に過ぎず、教皇の講話は良かった。途中で「こんな話で退屈でしょうが」とか「ぼちぼち終わりますから」と、学校の先生のようなアドリブが挟まったのは面白い。
それでその後のミサ。ドーム前の物販はなかなか混んでいて、客捌きもそんなに良くない。贅沢言ってはだめだろう。メダイやボールペンでも仕入れて職場のお土産にしようかと思ったが、目星をつけた品はみな売り切れていた。
東京ドームへの入場も、ミサの流れも、特に大きな混乱はなかった。長々とした日本の司祭団の入堂に、皆がひたすらバチカンの旗を振るのがなんだか面白いと思ったくらいだ。
またアリーナをパパモビルで教皇がまわり、小さな子どもたちにキスをしていたのは印象的だった。日本じゃないみたいだ。そして詩篇歌唱のシスターの歌声が非常に美しく、出待ちで聖体を授ける神父さん方になるほどとなった。
大きな疑問点を挙げるならば、ミサ曲をさまざまな言語で対訳もなしで歌わせるのはいかがなものかという点だ。結構多くの未信者がこのミサに与っているということを知っている自分の個人的な意見であるが、彼らが何や何やらわからない歌を外国語で歌う状態になるのはいかがなものだろうか。式次第にはせめて対訳をつけるべきだったのではないだろうか。また典礼保守のような意見だが、各国語に配慮しなければならない時こそ、歴史を通して保持してきたラテン語を使ってもよかったのでは?とも思う。「誰も話さない言葉」は儀式を地上の所属から解放してくれるのではないか。とはいえラテン語はラテン語で歴史的・地理的文脈のある言語である。なかなか難しい。
そんなもやもやを抱きはしたが、気持ちよさそうにタガログ語で歌う人々をみて、それで救われた気分になる人もいるのだろうなとも思った。
ミサののち、神保町で食事。夫も合流した。昔の話に花を咲かせて少し早めに解散。
教皇来日関連のニュースを見ていると、そこに書かれる言説は反核・被爆に関するものが多く、ともすればヴァチカン側の一種のオリエンタリスムに見えてしまう時もある。しかし実際に聞いた話はもっと豊かで、日本の現状に寄り添ったものだった。文書化されたものは改めて丁寧に読んでいかなければ思う。