カシューナッツ

 案の定というかなんというか、陽性で帰れなくなってしまった。ひとまず入国してからの流れをまとめたい。ちなみに以下の行動の際には常にマスクをし、アルコールティッシュなどでかなりマメに消毒をしている。

 

2日目
 朝は近所のハイドパークでランニングをした。その後、オックスフォードに住んでいる研究仲間を尋ねる。あちらこちら案内してもらい、その後一人で書店とアシュモレアン美術館に行った。こちらは美術館というか博物館的な雰囲気で、以前別の国際学会でオックスフォードに滞在したときも何度か訪ねたところだ。あいにくこの日は雨で、アシュモレアンにつく頃にはものすごく体が冷えていた。カフェでちょっと震えがとまらず、「あ、これは風邪を引いたかな」などと思っていた。オックスフォードからパディントン駅に戻り、駅のスーパーでフルーツを買って夕食にした。

 

3日目
 ちょっと顔が赤い。昨日のせいもあるだろう、そんな感じに考えて、午前中はチェックアウトの時間までゆっくり過ごす。その後、セントパンクラス駅までタクシーで向かい、Baggage storeに荷物を預け、日系のお店でラーメンを食べ、ロンドンの中心街を少し散歩した。いつも工事中だったビッグベンの覆いがとれていて、本物を初めて見ることが出来た。思ったよりも華奢に見えた。ウェストミンスター寺院を横目に、カトリックウェストミンスター大聖堂で少し心を落ち着けて、ヴィクトリア駅からセントパンクラス駅に戻る。予約していた列車までまだ2時間あったので、近くのカフェに入って授業の準備。明日の朝5時に授業をしなければならないので。

 その後列車に乗ったところ、座席の予約が出来ておらず、一時間ほど立ちっぱなしだった。ちょっとしんどい。列車内はかなり騒がしく、ビール瓶なんかが転がっていた。ここでも授業準備。到着後はすぐに2つ目の滞在先であるHinsley Hallへ。こちらはカトリックの施設で、教会や本屋が併設されている。レセプションで簡潔な説明を受けた後、リーズの街を少し散歩しインド料理屋で夕食をとる。ちょっと寂しかった。

 

4日目
 早朝起きて授業をした。もっときついかと思っていたが、まだ時差ボケだったようでむしろ調子は良かったような気もする。その後朝食をとり、学会会場へ。受付をした後に、開店準備中のブックフェアをいくつかまわり、購入する本に目星をつける。その後、開店を待ってから、日本への発送の依頼等を行った。さすがに初日なので、お金を支払っても現物の引取は最終日にしてくれとお願いされたりする。

 今回の学会は公式アプリが便利で、事前にチェックしていたセッションを地図とともに表示してくれる。思ったよりも広い会場を右往左往しつつ、気になっていたものはだいたい聞くことができた。初日一番はじめの時間帯が自分的には激戦だった。夕方には野外で一人学会特製のビールを飲み、大学向かいにあった蘭州牛肉麺を食べる。

 

5日目
 宿から大学まで2キロとすこしあるのだが、連日の歩きすぎのせいか足が痛い。1つ目に聞いたセッションの発表者のスライドの文字があまりに小さく、まったく見えないので会場内でZOOMに接続してしまった。ZOOMでは文字起こし機能が使われていて、聞き逃してしまいそうなところが(結構不正確であるが)全部自動で書き起こされている。え、便利すぎるのでは……などと思いながら、午前のセッションたちが終了。少し時間があいたので、リーズの中心街を散歩しにいく。カークゲートマーケットが面白いと聞いたので、いくつかあるギャルリを覗きつつそこに向かった。市場というからにはゴミゴミとしているのでは、と警戒心もあったが、中はかなり広々としていて、食事どころの風通しもよかったので、ここで昼食。その後、明日の空き時間にはカークストール修道院か武器博物館か、どちらかに絶対に行こうなどと考えながら会場に戻った。入るセッションを間違えるというトラブルにもあったが、二日目も終了。昨日と同じ店でまぜ麺を食べた。宿に戻ってから、なんとなく気持ち悪さを感じて嘔吐してしまう。

 

6日目
 朝の時間があいているので、カークストール修道院に行くつもりであった。あと初日に買った本を早い時間にブックフェアの会場まで引き取りにいかなければいけない。そんなことを考えつつ、朝食をとって宿の中を少しだけ散歩をした。その後自室に戻って、ちょっと疲れたなと思って布団に寝転がる。そしたら布団から起き上がれなくなった。旅先で疲れて高熱を出す、という経験は以前にもあったので、そのたぐいかなと思ってひとまず午前中は寝ることにした。しかし午後になっても体が動かない。聞いておきたい発表があったので、宿からZOOMで繋ぐ。といっても聴きながら眠ってしまった。申し訳ない。

 動けるようになったのは夕方。朝よりもマシな気がする。とりあえず空腹だったので、宿の人に勧められるままウーバーイーツでピタサンドのようなものを注文。こちらは基本の食費が高いのだが、ウーバーで頼んでも金額があまり変わらない。不思議。ピタサンドはちょっと濃すぎて三分の一くらいしか食べられなかった。その後、コーラを飲みながら再び就寝。寝汗がとにかくすごい。

 自分はいったいなにしに来ているんだとかなりつらい気分になった。

 

7日目
 昨日ほどしんどくない。これなら大丈夫だろう。そう思って朝食に行く。掃除の人が訝しげな顔でこちらを見ている。この宿、全体的な雰囲気はいいのだけど、特に掃除の人があまりこちらを歓迎してくれない。「あの中国人は…(ネガティブな言葉)」などと言われてりもした。まあ区別つかないよね。マスクをつけているのが気に入らないらしい。

 宿からチェックアウトし、名残惜しさを覚えつつ、学会最終日へ。この日は中世関係の実演イベント等が充実している。ただ、事前に買ったロンドン行きのチケットが若干早い時間だったので、中世の模擬戦闘なんかは観ることができず、それがかなり残念だ。カークストール修道院にもけっきょく行けず終いだった。また来よう。そんな感じで学会会場の預け所に荷物を預け、実演やクラフトフェアを周り、古楽器を買うか逡巡し(けっきょくやめた)、手製の小さい本を買い、昼食を食べて駅に向かった。事前に買ったチケットは日にちを間違えていた。これなら会場に戻れるのでは?と思ったが、前日の体調不良が微妙に尾を引いているような気がしたので、そのまま同じ時間のチケットを買い直し、電車に乗る。

 ロンドンに着いた後は3つ目の宿に向かう。3つ目は立地がとてもよい中心街のホテルだが、窓がないベッドだけの部屋で、やっぱり窓はほしいな、と思ったりした。最上階のレストランがとてもいい雰囲気だと聞いていたのでそこにいったら、今日はやっていないと言われた。開くのは翌日16時らしい。全く使えないじゃないか。

 その後、少し街をぶらっとするかなと思ったが、地下鉄に乗ったところでやっぱり本調子じゃないと引き返し、好きなファーストフード店で軽い夕食をとり、宿に帰り、荷造りをした。PCRテストは翌日8時20分の予定だ。

 

8日目
 チェックアウトは後にして、パディントン駅に向かう。チェックアウトをしてから向かってもいいのではと迷ってはいたが、せっかく立地のいいホテルだし、PCRを受けた後に一休みしいたいなと思ったりもしたので、そのままにしてきたのだ。時間よりも早く着いたが、そのまますぐに受けることができた。PCRは初めてだったが、お姉さんが数え歌を歌いながら鼻の穴に検査の綿棒を入れてくれて、小さい頃に戻ったような気分になった。パディントンの中のスーパーを少し覗いてから宿に戻る。帰りの飛行機は18時すぎなので、チェックアウトをした後も時間はある。予定通りナショナルギャラリーに行く。クロークに荷物を預けて、ダヴィンチの〈岩窟の聖母〉を堪能して、その周りのシエナ派とかのコーナーをまわっていたらPCRの結果が送られてきた。陽性である。

 その後は、ナショナルギャラリーのクローク前で、航空会社や保険会社や現地に住んでいる友人や家族に電話をした。結果の書類には「自己隔離は義務付けられていないが…」と書かれているものの(そしてもうだいぶ手遅れな気がするものの)、結果を把握している以上、どこかに自己隔離をすべきだろう。ということで、友人が住んでいる街まで行くことになった。そこのホテルを一室、6泊ほど予約をした。ロンドン市内にとどまることも考えたが、宿代がその倍はかかるし、そもそもあまり空いていない。それにロンドンに住んでいる知人もおらず、万が一のときに頼れる人がいないのだ。街についてからは荷物の一部を洗濯するために街外れの無人のランドリーで右往左往したりしたが、無事に落ち着くことができた。わりと遅くまで職場と授業関係のメールや連絡を打ち、就寝。夜中に職場からの電話で起こされたりした。

 

9日目
 友人が体温計を貸しに来てくれた。それ以外は療養の一日。体感としては6日目よりも全然いい。今すぐ遠くにいける、ランニングもしたい、とまではいかないが、普通に観光だって出来てしまいそうなコンディションだ。ただ咳が出る。そしてウィルス感染独特の黄色い痰が出る。あと味覚と嗅覚がなくなっていることに気がづいた。ルームフレグランスの香りがまったくしないのだ。

 

10日目
 今日である。厳重装備で中心街に行き、Antigen testと亜鉛のサプリを買ってきた。宿にもどって試してみたら、薄いながらも陽性を示す二本目の線がうっすら出ていた。

 さて、そもそもいつから自分は新型コロナウィルスに感染していたのだろうか。そう思い返すと、正直なところ一番怪しいのは、行きの飛行機を降りたあたりだ。あのとき、喉がやたらと痛かった。この喉の痛みは今までずっと続いている。当初は飛行機の中で口を開けて寝ていたからだと思っていた。マスクをしたまま寝ると、鼻が苦しいのか口が開いてしまう。で、二日目のオックスフォードでむちゃくちゃ冷えたので、そこで風邪をひいて、この痛みがずっと続いているのもしょうがない、なんて考えていた。3日目になんか顔が赤いなと思ったのもそれかもしれない。6日目の起きられなかったのは確実にコロナ由来だろう。このときには明らかに熱が出ていたし、関節痛もあった。寝汗もコロナの症状らしい。その後、7日目くらいに咳が出たりもした。そうすると「発症から10日」ということでいいのだろうか。となると、自分はすでに日本を出た段階で感染していたことになる。感染対策を気をつけようとしていた行動が、自分のためというよりもむしろ他の人のためのものだったということだ。

 仕事はひとまずすべてオンラインにすることにした。時差は厳しいが、なんとかなりそうだ。出発時にちょっと嫌な予感、というか、ある程度最悪を想定して、今週分のいろいろな資料を荷物にいれてきていた。それが最大限役に立った形だ。これだけは自分を褒めてやりたい。

 今は喉の痛みもかなり軽く、熱もなく、味覚嗅覚もうっすら戻ってきた。半年レベルで戻らないこともあると聞いて戦々恐々としていたのだが、亜鉛を補うことでなんとかなったらしい。まだ予断を許さないけども。

 保険が降りることを祈りつつ、しばらくイギリスで療養ということになりそうだ。

ケバブと卵焼き

 イギリスにいる。

 毎年ある学会がイギリスで開かれていて、これまでずっと行きたいと思っていた。

 それで今年、ちょっと無理をして行くことにしたのだ。

 理由としては、そろそろそこで発表などの可能性を考えたいこと、コロナが収束してきたこと、ZOOM等の遠隔授業に慣れている学生さんたちがいることだ。

 第三の理由が特に大きい。現在の対面回帰の様子をみていると、今後「ZOOM授業に慣れている学生」というのはどんどん減っていくだろう。しかし今なら、イギリスからでもZOOM授業をすることができる。それでえいやと三回目のワクチンを打ち、直前までキャンセルするか迷い続け、現実感のないまま出発したのだ。

 

 海外に出たのは3年ぶりだ。

 飛行機に乗って主翼の翼端灯を見たとき、滑走路に向かう飛行場の星空のような誘導灯を見たとき、おもわず涙がでた。

 人生初の「仕事をしてから飛行機に乗る」という流れでどうなるかと思ったが、ラウンジのシャワー等を使うことでそれなりに快適に過ごすことができた。機内で授業準備をすることにはなったが……。

 航空会社はターキッシュエアラインズ、イスタンブール空港での乗り継ぎだ。

 ほぼすべての免税店が閉店していた羽田空港に比べ、イスタンブール空港は朝5時の段階で賑わっていた。閉店しているお店なんて一軒もないような状態だ。いろいろと目移りしながらスターアライアンスゴールドで使えるラウンジに向かう。ラウンジもとても豪華だ。コンセプトの異なる部屋がいくつかあり、目の前でワッフルや卵焼きを作ってくれるサービスもある。水やジュース、あとハーブティなんかがいろいろとある。各部屋では旅疲れた人たちがソファをくっつけてごろ寝をしていた。そのあたりはあまりいい雰囲気ではない。子ども用の遊びスペースで寝ている人もいた。5時にはやや人の少なかったラウンジも、7時に近づく頃には満席状態だった。

 その後、搭乗ゲートに向かうと、なにやら行列が長々とできて、どうしたものかと列の先を覗いてみたら、所持品検査をしているようだった。自分も当然それを受け、電子機器を薄いプラスチック片でぴたぴたとされた。なんなのか全然わからなかった。

 さて、ヒースローでの懸案は「預け荷物がちゃんと出てくるか」である。出発の3,4日前に、ヒースローが大パニックというニュースを聞いた。なんでも荷物がロビーまで溢れているとか、1,2時間の遅延が当たり前とか、そういった話である。コロナにより職員数を減らしたものの、欧米のウィズコロナ的な流れの中でのヴァカンス時期に対応できいていない、ということなのだ。それで自分もすべてを持ち込みにする予定でパッキングしていたのだが、重さが重量制限を超えていた。さらば新品のジャケットなどと思いながら、泣く泣く小さなスーツケースを預け荷物にしたのだ。いちおうロスバゲに備え、スーツケースにはエアタグを仕込んだ。しかし自分たちの便の荷物は意外とスムーズに処理され、ターンテーブルをするすると流れてきた。ヒースローの人たちに感謝したい。といっても、手荷物受け取り所のあちこちには、持ち主不明の大きな荷物がたくさん転がっていたが……。

 ロンドンについてからは、ひとまず宿のチェックイン時間もまだということで、大英博物館に企画展Feminine Powerを観に行った。一つの展示にしては思ったよりも地域時代の範囲が広く、その分俯瞰的にあれこれと楽しめた。図録の情報がかなりしっかりしていてそちらにもびっくり。シーラ・ナ・ギグを初めて観たよ。あとイナンナも。大英博物館にあったのね。その後、大英博物館のあちこちをウロウロとして(やはり中世くらいのエリアが一番好きだ)、宿に一度戻った。地下鉄に関してはアップルウォッチをかざすだけで使えるので便利である。

 ひとまず前半のロンドン宿はハイドパークの近くにある三ツ星ホテルの一番安い部屋。地下にあって窓から見えるのは壁だけだ。それでも3万円は余裕で超えているけど。

 今日はさすがに初日ということであまり無理はしないようにしようと思いつつ、あまり無理しないようにすると日中に眠ってしまうので、それを避けるべく再び散歩に出た。ハイドパークをつっきって、ハロッズ界隈くらいまで歩こうかと思ったのだ。それで歩いていたら、今回楽しみにしていた行き先の一つであるヴィクトリア&アルバート美術館が近くにあることを知った。また後日と素通りしようとしたところ、それはそれは猛烈な腹痛に襲われた。思わず美術館に入り、警備員さんに荷物の中見を見せ、見に行こうと思っていた企画展Fashioning Masculinitiesのチケットを買う。あまりにあわててたので企画展のタイトルをfascinatingといい間違えた。恥ずかしい。それでお手洗いを借り、企画展を思いがけずじっくりと観ることになった。グッチプレゼンツだけあってとても豪華な雰囲気だ。演出が多い。自分としてはもうちょっと中世ルネサンスのあたりを扱ってほしかったが。その後V&A美術館を一周する。以前も来たことがあるが、ロンドンお大きな博物館美術館の中で一番好きなのはと聞かれたらここと答えるかもしれない。作者に紐付けされた「作品」よりも、職人が作った「工芸品」のほうが好き、というのがちょっと、あと展示の仕方がなんだか良い雰囲気だというのもある。

 V&Aを出てからはすぐ近くのブロンプトン礼拝堂で静かな時間をもった。一通り過ごして出ようとしたらラテン語のアンジェラスの祈りが始まった。ミサがトリエント式だとついていけなと少し様子を見ていたら、ノブス・オルドだったのでとどまった。「ちょっと食事をしていきなさい」と招かれたような気分になった。しかし背面で行われるので、なかなか慣れない雰囲気である。そしてやはり口で拝領する流れであった。大切なのはわかるが、しかし今の自分はコロナのリスクのことを考えてしまうだろう、それはふさわしくない、と葛藤しながら祈っていた。

 その後、どうせならとハロッズまで行く。人がたくさんいるのを眺めてからハイドパークを速歩きで帰った。夕食はケバブ屋。宿の近くの通りにある飲食店街に目星をつけていたのだ。ケバブ屋のおじさんはどこの国でもあたりが強い。でもなんだかんだ美味しいし、栄養のバランスがとれているような気がする。ケバブは完全食。

 ということで、今日は動きすぎてしまった。明日は研究会とオックスフォード。

海苔

ここのところずっと気が重い。
例のロシアによるウクライナ侵攻の件である。

24日は連れ合いと温泉に行っていて、早朝誰もいない露天につかり、部屋出しのいい感じの朝食を食べて、小雪の舞う中を登山鉄道に乗ったりしていた。
チェックアウトの合間には学内誌の装丁を入稿した。パンパンのMacBookiPad miniで意外となんとかなった。

それで登山鉄道の中で「ホスメトリ空港がロシア軍に制圧された」というようなニュースを聴いた。
前々からきな臭い雰囲気はあったどころかヤバい感じではあったし、まさに温泉でもKindleで『現代ロシアの軍事戦略』を読んだりしていたくらいだった。
その後は戦争の話題一色である。朝起きたら戦況をチェックするのが日課になってしまった。
それでАн-225 Мріяが壊されたとか、無事とか、そういうニュースを聞いて一喜一憂したり(結局3月4日に破壊が確認されたわけだが)、ズミーイヌィ島の守備隊が玉砕したというニュースに震えたり(生存が確認されたとのことだが)、とにかく右に左にと情報の嵐で精神的にかなり動揺している。

別に遠い国の遠い話で、この手の出来事なんてシリアでもアフガニスタンでもどこででも起きている、そんな見方だってあるだろう。じゃあなんでウクライナだけこんなに感情を持ってしまうのかというと、自分が慣れ親しんできた文化的なものに依る。

そもそも自分にはわずかにロシア人の血が入っている。たった1/16ではあるが、高校生のときに母から聞いた時は結構衝撃をうけた。
とはいえ、そういう薄い繋がりを知る前から、ロシアの文化というのになんだか妙な憧れを抱いていたのだ。

例えば、もし今までで自分に一番影響を与えた文学者は誰かと聴かれたら、間違いなくチェーホフを選ぶだろう。教会の鐘の音を聴きながら十字を切り続ける不幸なリーパが、自分がこの専攻を決定的に選んだ契機といってもいい。
一番好きなクラシックは、器楽曲ならチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲だと答える。声楽曲でもロシア聖歌はかなり好きな方で、ラフマニノフの徹夜祷はトップ3に入る。
海外で食べる料理のうち、一番しっくりくる料理はなんだと聴かれたら、フレンチよりもイタリアンよりもロシア料理やジョージア料理、そしてウクライナ料理だと答える。シチーやサリャンカの味わいにはどんなに旅疲れしていても癒やされる。他の国の料理でこんな気分にしてくれるものはあまりない。スープだけじゃなくて、魚料理も肉料理も、味付けの方向性が好みにあっているのだ。
人生で一度は絶対に行きたい場所はキジ島とキエフだ。キジ島は行き方を何度も調べて、毎年行けるか検討していた。またキエフは2019年にオックスフォードに行った後に、本気で寄ろうかと計画を建てていた。結局断念して、「旅はやり残したことがある方がいい(再訪の口実ができるから)」みたいなことを考えながらのんきにヒースローから帰ったわけだが、なんて馬鹿なことをしたんだろう。ただ、もし行っていたとしたら、今よりも動揺していたと思う。

そして思い入れのあるエアラインはなによりアエロフロートだ。これまでも体力や時間が許せば、どこに行くにもアエロフロートを使ってきた。アエロフロートはそれぞれの機体にロシアの文学者や音楽家の名前をつけており、それが好きだった。自分が乗る機体の名前を調べては、その情報を旅のおともにしていた。いくらか無骨な接客も、トランジットだけでもちょっとはロシア気分を味わえる(ようで、意外と味わえない)シェレメーチエヴォ国際空港も愛おしかった。
そんなアエロフロートの乗り入れ国数は世界一だと謳われていたものだが、今となっては一体いくつの空港にはいれるのか。機体は借りパク、一部の空は通れず、国内線しか飛べないような、世界一息苦しいエアラインになってしまった。いずれ整備部品もつきて安全マニュアルのアップデートからも取り残され、エアバスボーイングもひどい事故を起こすのだろう。最悪だ。心底やりきれない。

そんな感じでロシアやその文化は自分にとって結構特別なものだった。

しかし今ではロシアの侵攻により多くの人が死んでる。ちょっと前まで日常に生きていた人たちの日常も命も財産もどんどん奪われて、街並みは壊されて、文化財は消えつつある。ユーラシア主義というイデオロギーのせいだという。本当にクソだと思う。
今では全てがしんどい。しんどいけどこのあたりの話がずっと頭の中を回っていたので、ひとまず書いてみた。

要はただの壁打ちだ。

ポップコーンと決闘裁判

『最期の決闘裁判』をようやく観てきた。

14世紀ということで専門とも違うし、事前に聞いていたいろいろな評判から少々身構えて行ったのだけど、結構面白かった。

羅生門』風、というのがそもそもミスリードという感じがあり、基本的には男二人の幻想の破綻を描いているなという印象。

「真実は藪の中」という感じではない。

 

個人的に興味深かったのが、男二人の幻想が基本的に当時の騎士道とか宮廷恋愛とかそういうものに下支えされていたという点。

特にル・グリの宮廷風恋愛の破綻みたいなのに顕著だった。

特にカペルラヌスの「恋の戒律」風のフレーズを即興で翻訳して宴会を盛り上げる場面と、その後、ラテン語を読むことができるのはなぜかという話の中で、聖職者になる道を考えたことがあったためという言葉が出てきたのは印象的だった。

この手の教養というのが「聖職者」という男性ならではのルートの延長線上で出てきているということ、あとそういうのが結局マッチョな連帯に使われ、それが婦女暴行という現実を歪めて理解するのに奉仕しているという流れがわりとくっきり出ているな、みたいな。

ド・カルージュについても、文字の読み書きができないが、粗野で無骨なものの忠誠心のある武人という風体で、周りもそれを肯定する環境にいたわけだけど、なんだかんだで武人仲間には必ずしも好かれているわけではなく、命令は聞かないし、おまけに決闘で案外弱い。

ル・グリが「洗練された宮廷風恋愛」の立ち振舞とは程遠い、照れ混じりの変な告白をしたのと、ド・カルージュが決闘で案外弱かったのはパラレルだったのではないだろうか。

 

マルグリットの場合、彼女も文学の会話はするのだけど、実践的で現実主義的側面がかなり強調されており、文学の話も「盛り上がった」のではなく、適当に話を合わせた程度でさして印象に残っていない、というのも面白かった。

あと計算盤を使って計算するル・グリと指で計算をするマルグリットもわりと対比的に感じた。

 

全体的にいろいろな対比軸があって、あれこれとひっくり返していくお話なので、語りやすいし解釈しやすいしで、同行者とも盛り上がった。

 

 

完全に余談ではあるのだけど、ル・グリが宴席でラテン語を披露したときに引用されたフレーズがカペルラヌスの以下のものにとても似ているなと思った。

XVII. Novus amor veterem compellit abire.

XXXI. Unam feminam nil prohibet a duobus amari et a duabus mulieribus unum.

もしカペルラヌスが下敷きになっているとするならば、2つ目の戒律は普通に「二人の女に寄って一人の男が愛される」と続くので、ル・グリの補足を気の利いった即興扱いしたピエールがそもそもラテン語を読めていないことになる。

ある種の教養コミュニティで、原典に即した細やかな理解が必ずしも必要とされず、あんちょこ本とかその程度で話をあわせることってたまにあるんじゃないかと思う(自分で書いていて耳が痛い)。

別にピエールがラテン語を読めたか読めなかったかはストーリーには大きな影響を与えない気はするけれども、そういった生々しい「半可通」的教養と、あとル・グリを取り立てたピエールの心の襞が少しだけ見えたような気がしないでもない。

プロテイン

ナイキのフリーランフライニット3.0がない。

ここ数日、ランニング用の靴がそろそろ限界かな、という雰囲気が出てきた。

しかしあろうことか射撃会に履いていくなどということをしてしまい、その上ちょっと熱い銃口を靴につけてしまい、ますます限界に近づけてしまった。

それでナイキの公式サイトで後継を探したが、どこにもあの紐なしタイプがない。

自分は運動靴の紐が大嫌いだ。

朝、布団の中で目が覚めて、ああ自分はあの靴に足をねじり込んで靴紐を締めて、その靴紐が緩むか緩まないかとびくびくしながら走ると思うとまったく走る気がしない。

その点、フリーランフライニットは本当に偉大だった。

スリッポン感覚で着脱できるのに走れる。すごい。指先を動かさずに靴を履いて、何も考えないで走れる。

心底すごいことだと思っていたし、正直去年の春からずっと走れているのはひとえにそのおかげだと思う(といっても、8月と9月の前半はかなりサボったが)。

 

だけど公式サイトに売ってない。

後継はもう出ないんだろうか。

他のメーカーにしようとしても、ナイキの靴の形に慣れているし、コロナのこのご時世に他のスニーカー屋でサイズをあわせたりなんだりするのは億劫だ。

はぁぁぁ

そぼろご飯

 やっぱり間隔があくな。結構コンスタントにかけたらいいなあ、と思っていたのだけど。

 

 さて、ちょっと前に共著書が出た。共著のメンバーはむしろ自分が憧れていたような先生方で恐縮してしまう。校正の段階で自分の下手な日本語と稚拙な翻訳に向き合うこととなり、メンタルが死んだ。

 あとひとつ、興味深いテーマについてのシンポジウムにお誘い頂いた。いままで自分が出してきた論文とは方向性が異なるが、えいやと参加することにした。他のメンバーからみたらどう見えているかはわからないが、これがかなり楽しい。そもそも自分がやってきた勉強に直結するものだったので、いろいろと資料の渉猟が捗る。ただ考えるべき要素の多いテーマだと思うので、シンポジウムまでに満足できるものまで持っていくのは少し難しいかもしれない。とはいえ、自分が完全なものができるとは思ってもいないし、そもそも完全なんてものに到達することはできない…ということで、良い呼び水になれるように頑張りたいと思う。

 最近といえばだいたいこんな感じだ。勤務先は今年度から対面授業を再開したものの、緊急事態宣言によって再びオンラインになってしまった。学生さんの学生生活からすればもちろん対面のほうが良いだろうが、マスクでの授業、しかも今年度から105分授業ということで、対面二週目の段階で完全にへばっていたので少し安心した面もある。

 今はインドのニュースと、あとイスラエルのニュースから目が離せない。

 

雑煮

年末年始はまあマイペースに過ごしていた。

29日に近所の和菓子屋から餅を引き取った。

元旦の朝は書初めのつもりでラテン語を少し訳した。それから雑煮と酢蓮、あと煮しめを少々。初走りということでランニングもした。

2日は所用で新宿近辺に行くついでに、伊勢丹を少し覗いた。ずっと欲しかったダウンコートを五割引で買えたので満足。長居はせずに撤退。

4日からは平常運転で、ひたすらラテン語を訳していた。初詣に行ったのは7日。七草粥を食べて、それから近所の神社に軽くお参り。

まあ特別なイベントはなく、変わり映えはしなかった。

 

それで、12日に下の親知らずを抜いて今に至る。ここ数日風邪のような熱と頭痛が続き、すわコロナかと警戒したが、どうやら親知らずの影響らしい。

今はだいぶマシになった。今日はとりあえず仕事。締め切りを伸ばしてもらったものがあるので、なんとかしなければ。