ショートブレッド

  ランニングをしてきた。結婚式の準備以来、数年ぶりである。以前買ったウェアを着て、ヒモ靴ではないがスポーツ向けの靴を履いて走った。きっかけはいいかげん腹の肉が嫌になったからだ。以前のランニングのときのプレッシャーは数百万の挙式費用だったが、今回は単なる自尊心の問題である。体は重いし乗り気でもなかったのだが、実際走るととても気持ちがよくて、そうしているうちになにか今の状況を外に出していかなければと思った。

 もちろん、人は避けた。次はバフを使おう。キシリア様みたいなのはあるんだろうか。

 

 さて、最近は家に籠もりきりだ。家に籠もっているならさぞ研究も進むだろうと自分でも思うが、驚くほど進んでいない。頭の中はもっぱらオンライン授業のことで、気がつくとその情報をインターネットで探している。おかげでスマホの画面をみる頻度が病的になったなと思う。画面をみると目が痛い。それなのにやめられない。10月までに仕上げなければいけない原稿もあるのだが、大まかな方針を決めただけで、恐ろしいほど進捗がない。今からすでに胃が痛い。

 

 さしあたり空白期間の日記にかえて、2月から今に至るまでの新型コロナに関する肌感を回顧しておこうと思う。なにぶんバタバタと日が過ぎたので、もしかしたらずれもあるかもしれないが。

 

2月

 この時点ではかなりの他人事だった。2月前半には教授会もあったし、小さな会議も行われていた。月頭には草津に行ったりもした。22日の友人の結婚式では、酒を飲みながらダイヤモンド・プリンセスの話をしたりもしていた。この時期のスケジュール帳をみるとぎっしりだ。

 また2月中頃にはちょっとした研究会も主催した。この頃にはぼちぼち「研究会などは行わないほうがよいのではないか」という話を聞いていたが、「自粛」をするのは3月の大きな会で、小規模な会はいろいろと開催されていた。

 とはいえ、大学組織はそれよりも動きが早く、3月予定のオープンキャンパスや会議の日程はことごとくキャンセルされていった。

 

3月

 3月はじめには先輩と食事にいき、また7日に『ミッドサマー』を見に行ったくらいなので、その時も話題には出しつつも、まだいろいろと余裕はあったと思う。学会誌に載せる原稿も仕上がり、編集幹事のような仕事をやっていた論文集も印刷にまわったので、むしろ解放感もあった。20日は自分の誕生日でもあり、近場の小さなレストランに連れて行ってもらった。また、学内で学生向けに出す参考書のようなもののレイアウトに七転八倒していて、とにかく3月後半はこれにかかりきりであった。登山用のリュックで数百冊の小冊子を運んだのはいい思い出だ。

 あとネット上の「蘇」が流行っているというニュースを聞きながら、ショートブレッドやクッキーをひたすら焼いていた。『鬼滅の刃』だの『ガンダムSEED』だのを見ながら延々とバターを練り、生地をこね、冷凍庫で冷やしてカットして焼くだけ。なるだけ甘さ控えめで硬いのを作りたかったので、小麦粉の量を極端に増やしたり、全粒粉だけで焼いたりと試行錯誤を繰り返していた。思えばこれでずいぶん太った。

 のんきな状況と並行しつつ、次第に社会情勢は他人事ではなくなっていった。

 大きな契機は25日の小池都知事による自粛要請だったと思う。

 この日は友人の子どもの洗礼式だった。非常に綱渡りの日程だったが、友人一家がどうしても海外に行かねばならないことになり、このご時世だからこそ、出発前に子どもにも洗礼を受けさせたいということになったのだ。すでに韓国の事例や、あるいはローマ教皇の聖職者への呼びかけと、イタリアでの聖職者たちの「殉職」のニュース、また欧州での葬式の実施状況などの情報によって、そういった宗教的集いはかなりのハイリスクであることは承知していた。しかし次にいつ会えるのかもわからない状態だったので、司祭と代親をつとめる自分が体調をチェックした上で先方の家に行く、という形でひっそりと少人数で行うこととなった。今の時点でなにも不穏なことは聞かず、また先方も無事に到着したとのことなので、おそらく問題はなかったのだろう。

 それで、この会の後に小池都知事の会見を聞いた。3月末に行われる予定だったすこし大きめの研究会の状況が気になっており、それが開催されるか否かが社会に対する自分の中の肌感の分かれ目であったと思う。最後の最後までいろいろな形で開催しようという雰囲気ではあったのだが、この会見を機に中止が確定された。

 

 あと流れが少し違うが、29日の雪の時には買出しのときにカメラを携行してしまった。雪の重みに耐える桜は、なんだかしんどい美しさがあった。dp2の雪の粒まで飛び出してくるような解像感に改めて惚れ直してし、二回払いでdp0quattroも購入してしまった。これでどこになにを撮りに行くの?という話だが、どちらかというと遠出への憧憬があったのかもしれない。お高い自分への誕生日プレゼントだと思うことにしよう。

 

4月

 先に書いたとおり、オンライン授業をどうするかできりきり舞いである。ゼミはすでにZOOMで行った。非常にやりづらく、これで90分の間を埋めるのは大変だ。家からの聴講だと顔を写すのもしんどかろうとカメラはオフにしてもらっているが、そうすると自分が何に向かって話しているのかわからなくなる。50名を超える大人数の講義に関しては、「パワーポイントに声を吹き込んで、15分ほどのものを2本くらい作る」という形とすこし重めのワークのあわせ技にしようかと考えているが、そもそも複数のファイルを再生するのは学生には面倒だろう。また、アメリカではワークが学生の生活を圧迫してしまい、学生がアップアップしているという話も聞く。放送大学の修了率を考えると、自発的に動画を見て課題をコンスタントに提出し続けるのは大変なことなのだと思う。教室ならば、どんなに不真面目でも目の前の紙になにか書く気力は湧く。しかし家となるとそうはいかない。それならいっそZOOMでリアルタイムにやるのが一番ではないかという気もする。(ちなみにヘッドセット品切れのニュースを聞くが、スマホで会話をするようなBluetoothのヘッドセットは普通に手に入るし、それで十分である)

 それにしても、なにより確保すべきなのは学生の学びの質と、学生自身の満足感なのは当然だろう。すでにいくつかの大学では「学費を減らせ」という運動もあるらしい。自分も現役生だったらそうするかもしれない。大学図書館もつかえず、授業も開講されないのだ。しょうがないことだ。ただ大学側の目線からすれば、学費は体を維持する栄養のようなものである。対外的な動きがないからと栄養を絶てば、体自体が死んでしまう。設備費は利用料金というよりも維持費である。授業が行われていない裏で、駆けずり回る教職員が山ほどいる。色々と難しい。

 まあこんな感じで、書き出すと心配は尽きない。せっかく手に入れたギャン・クリーガーのプラモデルも触れていないし、婚家の居酒屋も軒並み休業だ。4月の頭から、休業の張り紙を何度か作った。家にこもって鬱々と情報収集をしていると一日が終わってしまう。それじゃあよくない、ということで、ランニングを始めたのだ。

 

 ここ一週間は娯楽代わりに夜につらつらVガンダムを観ているが、あまり良くないんじゃないかという気もしてきた。母性のディストピア。男が考える女が支配する世界。そこそこ歳をとってからまじまじ観るといろいろとしんどい。

 閉塞感がすごい。